シリコンバレー 日系企業 1

日本で日系企業で働いた経験はないのですが、こちらシリコンバレーで日系の大企業で働いた経験はあります。 1997年頃から1999年終わりごろまでの約3年。日本のバブル景気は崩壊したとはいえどもまだまだ日本企業が強かった時代です。ちょうどシリコンバレーはドットコムブームになりかけていた当時です。

入社はエンジニアリングマネージャとして入社。自分の部下を沢山もったのはこの時が初めてです。その後プロジェクトマネージャも兼任しますがプロジェクトマネージャほどやりにくいポジションはないのです。これについては今後触れていきます。今日は日系会社について。

日系の会社には本社(日本)から当時は沢山の赴任者が来ていました。今もかな?でもずいぶん減ったと聞きます。なにしろコストが掛かりすぎる。赴任は大きく分けて2グループに分かれました。 一つはマネージメント。海外の組織は本社から見ると格下で大体こんな感じでした。

ー本社係長: こちらではマネージャ

ー本社課長: こちらではDirector マネージャの一つ上

ー本社部長: こちらでは副社長級

ー本社部門長以上: こちらではPresident級 組織のトップです。

こうしたマネージメントをするために赴任してくるのとは別に、

ーリエゾン: 現地(こちら)の本社赴任ではないマネージメントについて日本本社との間を取り持つようなポジション

ートレーニングなどをかねての赴任。 つまりいわゆる”経験を積ませる”ということで新卒入社5年目程度から選ばれてやってくる。2年程度の赴任でよく言う”海外を経験させる”目的です。

トレーニングなどを兼ねてやってくるケースでは現地の私のようなマネージャが引き受けるのですが、直接の上下関係はなく評価等は日本の上司がするのです。

さて日本人の間では 赴任 と 現地採用 は明らかに区別されていましたよ。赴任者だけのイベントやグループが沢山あり、とてもじゃないですがいわゆる現地採用には入る隙間はありませんでした。 このあたり 日本の ”村”意識はとても強かった。 村意識は今でも濃厚だと思います。それがためにどこに行っても日本人の横のつながりは他の国民と比べるとはるかに弱い。日本村ではなく ”企業村”なのです。 今もそんなに変わっているとは思いません。

しかし、 日本人だから。。。とよく無理難題を頼まれたりします。やること自体が私自身の上司に不利になるようなケースもあります。この日本人だから。。。にはかなり抵抗を感じました。 

と現地採用はあまりメリットが無かったなと言うのが私の正直な経験です。明日はもっと具体的に取りあげてみましょう。